オーストラリアの囚人たち
オーストラリアに送られた囚人たちの中で赦免を受けたり、自由を手にした者の中には、新しい環境の下で、さらにそれぞれの道を開くことができた人々がいました。
ある者は商売を始め、またある者は故国で身につけた特技を生かしていました。
リバプールの製本屋で見習いとして働いていたウィリアム・モフィットは紅茶を盗んだ為に、1827年、オーストラリアに送られました。
そして2年後の1829年には、自由入植者と結婚。
モフィットは刑期を終えた後、シドニーのキングストリートで製本屋、文房具店、製版屋、銅版印刷屋を開業しました。
1830年代は商業が急成長を遂げた時代で、彼は多くの顧客を得ることができたのです。
1845年までに、モフィットの経営する店は「シドニー1」という定評を得るまでになりました。
3年後、ピットストリーに軒を連ねる彼の4軒の店は、設計家ジ・セブ・フォウルスの手にかかり、さらに「優美」に変身を遂げました。
しかし、1815年以降にやって来た囚人で、サミュエル・テリーの様に莫大な富を築くチャンスに恵まれた者はほとんどいません。
1837年、流刑に関する特別委員会はエマンシピストのほとんどは、志半ばにして終わったと記しています。