オーストラリアの囚人たち 3
女性のエマンシピストは、とりわけ好運に恵まれる機会が少なかったのです。
結婚は、それなりの地位につくための近道でしたが、結婚相手にめぐりあえた女性はそう多くはありませんでした。
1817年から1834年にかけて、男性と女性の囚人の割合は、3対1から7対1へと拡大していたにもかかわらず、事態は深刻でした。
たとえ自由の身になっても、彼女らの人生の汚点は消えることがなかったのです。
1826年以前にオーストラリアに送られた女囚で、1828年までに結婚することができた者は、全体のわずか42%にとどまりました。
ビッグ調査官が記している様に、オーストラリアで自由の身として生まれた男性と結婚するなどということは、望むらくもないことでした。
植民地生まれの若者が女囚と結婚する例は非常に少ないのです。
若者達は、早婚を望まぬ傾向が強いのです。
しかし、女囚と結婚することは、若者のプライドが許さないというのが本音でした。
たとえ、両親の人柄の中には、囚人時代卑しさがあっても、若者達は自ら進んで卑しさに近づこうとはしなかったのです。